稲作養蚕:Inasaku Yousan

"焼酎哀歌" もつれもつれる、ものおもい 重い思いに、 おもやつれ やるせない夜の、やりがてに やわき心を、 やぶるひと ひとりのむさけ、ひとしずく ひとり人思う、 一人ざけ ふたりかたらう、ふたりざけ はずむ話と、 はじらいと よによいひと、よいごこち あうせ妖しい、 あわき愛

粟を食糧としていた人々の信仰

(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
《粟を食糧としていた人々の信仰》
ー「吉野:キノ」と「狗奴「:クナ」ー


 『後漢書』倭伝

 女王国から東へ海を渡ること千余里で
 拘奴国にいたる。


 同じ倭の種族なのであるが、
 女王に属していない。


 〔東洋文庫

 『三国志』魏書倭人

 ここまでが、女王の支配している領域である。
 その南には狗奴国があり、
 男子が王となっている。


 その[長]官に狗古智卑狗おり、
 この国は女王に服属していない。


 女王国の東、海を渡ること千余里のかなたに、
 また国がある。


 いずれも倭種の国である。
 
 〔正始〕八年(247)〔帯方郡の〕太守(長官)王頎
 が新たに任官されると、倭の女王卑弥呼は、
 もとから
 狗奴国の男王卑弥弓呼と不和であったので、
 倭の戴斯烏越らを遣わして〔帯方〕郡に行かせ、
 〔狗奴国と〕戦っている様子を報告した。


 〔そこで太守王頎は〕
 塞曹掾史張政らを遣わして、
 彼らにさきの詔書と黄幢を持って行かせ、
 難升米に授け、正式な文書をもって卑弥呼
 〔魏の立場を〕告げ諭した。

 

 〇拘奴国 chu¹-nu²(古漢  -nú(現代中国語)
 狗奴国 kou³-nu²(古漢語)、gǒu-nú(現代中国語)

 〇「クナ」 gnā(サンスクリット語)女神
  但し、女神であるが、また「神妃」を表し
  「巫女:かんなぎ」の役目の
  「巫覡:きぬ」である。

  吉野ヶ里遺跡(佐賀県三田川町田手)、
  田手神社「田手:タデあるいはタノテ」
  (Sk.)tandava 舞踊(ダンス) 
  巫女は舞踊(舞い)をすることが
  常の仕様である。


  『和名類聚抄』肥前国三根郡米多郷
          訓「女多」:「メタ」
  『肥前国風土記』米多郷
  "此郷之中、有井、名曰米多井、水の味は鹹し"

  米多「メタ」(Sk.)medha 祝祭
   吉野ヶ里遺跡では祭儀が行われていた。
   牟田:上峰村の大字名

  吉野よしの:「キノ」(Sk.)gnā つまりここが
   巫女「巫覡:きぬ」の居る国であった。

 

  上峰村:峰「ミネ」
        (Sk.)menē 婦人<巫女を指す>

  『三国志』魏書倭人伝 弥奴国
   ※吉野ヶ里遺跡は弥奴国である。

 

 〇吉野「キノ」=巫覡:「きぬ」
   各地に「吉野」名の地、川がある。
   吉野・吉野台地(福岡県大牟田市)
   吉野郡(奈良県)、吉野川(徳島県)
   吉野(岡山県)、吉野町(鹿児島市)

 〇狗奴国の「クナ」は(Sk.)gnāが祖語で
  「巫覡」と由来を同じくする。
   「クナ」=「キノ」

 〇狗奴国は奈良県桜井市を中心とする地域
  (現)木ノ庄、桜井市粟殿の字名
  
 ◎下野郷『和名類聚抄』大和国城上郡、
  訓なし、但し「ゲノ」「ケノ」と訓める。

 ◎喜荘きのしょう【古代】平安期にみえる荘園
  十市郡のうち、康和3年(1101)9月23日付
  堀河天皇宣旨案(東南院文書/平遺1453)に
  権少僧都範俊の私領として
  「在大和国十市郡喜荘」とある。

 粟殿(桜井市)「おうと」
 (Heb.),ָצהָת,AKhVT,ochot 修道女・尼

      〔巫女と同じく、神妃となった者をいう〕

 金屋(桜井市、粟殿の東北方大和川を挟んだ
    三輪山の麓の地区名)
 「カナヤ」(Sk.) kanyā
     少女、、娘(漢訳)女、処女、童女
  「処女」は「巫女」を表わす。


  巫女は未婚の女(未通女)しかなれない。


  これら
  巫女とは大神(おおかみ)神社の祭儀に係わる。

 

  『古事記』"神妃"中巻神武天皇、七媛女
  大久米命曰しけらく

  「此間に媛女有り。是を神の御子と謂ふ。
   所以は、三島溝咋の女、
   名は勢夜陀多良比売、その容姿美しかりき。
   故、美和の大物主神、見感でて、
   その美人の大便爲れる時、丹塗矢に化りて、
   其の大便爲れる溝より流れて下りて、
   其の美人の富登(ほと)突きき。
   爾に其の美人驚きて、立ち走り伊須須伎。
   乃ち其の矢を将ち来て、床の邉に置けば、
   忽ち麗しき壮夫に成りて、
   即ち其の美人を娶って生める子、
   名は富登多多良伊須須伎比売命と謂ひ、
   亦の名は比売多多良伊須氣余理比売と謂ふ。
   故、これを以ちて神の御子と謂ふなり」
  とまふしき。

  是に七媛女、高佐土野に遊行べるに、
  伊須氣余理比売其の中に在りき。

  M.K記(責)